母の死について③ 母の最期と葬儀

こんにちは、ますQです。

2015年12月に亡くなった母。

今日8月29日は母の誕生日です。

生きていれば67歳でした。

母の誕生日に、母の最期についてを書きたいと思います。

 

母の最期

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ホスピスに入院したのが11月27日。

亡くなったのが12月9日です。

 

12月8日には、新潟から祖母(母の実母)が会いに来ました。

祖母もこの時で要介護で、車椅子の祖母を叔父叔母が苦労して連れてきてくれました。

この日は母の意識もしっかりしていて、言葉は少ないけれど会話もできました。

母と祖母をそれぞれ車椅子に乗せて、病院内を散歩したりしました。

祖母もそれから1年経たずに亡くなるのですが、いくつに自分の子に先立たれるのはツライだろうなと思いました。

「私が代わってあげたい」と言っていたそうです。

 

その翌朝、父から「今病院から連絡が来たから、これから行く」と電話が来ました。

私はこの日は出社する予定だったのですが、会社に連絡して休みをもらいました。

兄と叔母にも連絡をして、病院に向かいました。

 

母は前日までとは顔の様子が変わっているようでした。

目が窪んで、まぶたが閉じなくなり、口も半開きのままです。

顔も身体もすっかり痩せて小さくなっています。

手を握ると、汗なのか、湿って冷たかったです。

 

ノドが渇いているようで水を飲みたがるのですが、飲むとムセてしまいかえってツラそうなので、湿らせるくらいしかできませんでした。

言葉はほとんど発しませんでしたが、こちらの声は聞こえているようでした。

それまでは気にしていなかった呼吸音が気になるようになりました。

 

祖母と叔父叔母は、この日に新潟に帰るので、少しだけ面会に来ました。

叔母が母の世話を少しして、「ばあちゃんを施設にお願いしたらまた来るね」といった後、母は

「ありがとう」と返事をしました。

これが母の最後の言葉になりました。

 

祖母達が病院を出た後、私と父と兄とで病室で過ごしました。

母は意識があるのかないのか、ツラそうでもなく、ただ呼吸をしていました。

この状態がしばらく続くのかなと思っていました。

 

お昼近くになり、交替でお昼を食べに行くか買いに行くかしようかと話していた時、母の呼吸が変わりました。

どう変わったかは正確には覚えていないのですが、今までの、気になるくらいの音がする呼吸ではなく、乱れたカンジでした。

「呼吸が変わったら教えてください」と言われていたので、私はナースコールを押しました。

 

兄と私が母のベッドのすぐ横に立ち、父が少し離れたところで座っていて、看護師さんが見守っている中、母は最後の呼吸をして、動かなくなりました。

母の大好きだった嵐のDVDが流れる中、旅立っていきました。

とても静かな最期でした。

 

私は人の臨終に立ち会ったことがなく、これが初めてのことでした。

息をひきとる時に傍にいることができたのは幸せなことでしょう。

 

一緒にいたのが父と兄だったからか、3人で涙もなく声もなく見守りました。

これが1人だったり、いたら絶対に号泣したであろう叔母と一緒だったりしたら、私も泣いていたのかなと思います。

ただただ、見ていることしかできませんでした。

 

その後病院が、母と過ごす時間をくれたり、母の身体や顔をキレイにしてくれたりしました。

私は会社や叔母に連絡をしたり、葬儀社に報告をしたりしました。

時間の感覚が普段とは違うような、ここだけ外とは別の空気が流れているような、不思議な感覚でした。

まだ母が亡くなったという実感はありませんでした。

葬儀社が来るまでの時間にお腹が空いて、病室にあった、母が食べなかったおせんべいを父と兄と3人で食べました。

 

 

葬儀の準備と葬儀

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母の身体と一緒に実家に行き、葬儀社の人と打ち合わせをしました。

母は前から、「お葬式もお墓もいらない。骨を海に撒いてくれればそれでいい」と言っていましたが、葬儀はすることにしました。

葬儀はするだろうことは母もわかっていたのか、自分で調べて葬儀社のチラシを残していたり、使ってほしい曲を選んだりしていました。

無宗教の家族葬ですが、近くのお寺でできるそうなので、そこにしました。

 

火葬場の空きの関係で少し日が空いたので、何もしない時間ができました。

会社は忌引きで休みだし、長女は保育園に行っているし、ひとりの時間です。

それまで、仕事後に母に会いに行って、その後家では長女の世話と忙しく過ごしていて気を張っていたのが、急にぽっかりと穴が空いたように、気は緩み時間ができました。

結局何もしなかったような気がします。

 

葬儀はお寺の小さな会場でしました。

無宗教なので、お経はありません。

葬儀社の人は、「無宗教の葬儀は増えていますが、お経がない分、どうやって時間を使うかが難しいんですよ」と言っていました。

お通夜では最初に母が選んだ嵐の曲を流し、司会の方が母の経歴を紹介してくれました。

その後、兄と叔母が母へのメッセージをつたえました。

そして、参列者のご焼香です。

焼香の間、父と兄と私は前に立って参列してくれた方に頭を下げていました。

その間、3歳になったばかりの長女はじっと座っていることができず、チョロチョロと動き回ってましたね。

 

翌日の告別式では、私が母へのメッセージを伝えました。

泣くつもりはなかったけど、やっぱり泣いちゃうものですね。

親戚も、「お経を読むお葬式よりも泣ける」と言っていました。

告別式も参列者のご焼香がありましたが、この日は何故か私たちは前に立ちませんでした。

もしかして、私が妊婦なことに昨日やっと気がついたのかななんて思っています。

それまで気づいてなかったら、葬儀社の担当者は、実家で私が兄をさしおいて偉そうに座椅子に座ってるのをどう感じていたんだろうと思いました。

 

その後、葬儀社の人の言う「時間を使う」ために、みんながそれぞれ折り紙にメッセージを書いて、鶴を折りました。

それを花と一緒に棺に入れるのです。

ここで、男性の大半は鶴を折れないことが判明しました。

女性陣や葬儀社の人たちで教えました。

鶴の折り方を教えていると、葬儀に似合わない雰囲気になりましたが、これはこれで良かったのかと思います。

なかなか経験したことのない、アットホームな葬儀でした。。

 

 

母が空へ還る

 

棺に花や手紙や折り鶴を入れて、出棺して、火葬場へ向かいました。

母の身体とも、これでお別れです。

もう生きていないけど身体は残っているのもなんだか不思議ですね。

その身体も火葬されます。

 

この時は、「母は空へと還っていくんだ」という実感がすごくありました。

亡くなった瞬間に続いて、2度目のお別れです。

母は骨となりました。

母の遺骨は、別の記事に書きましたが海へと散骨しました。

少しだけ分骨して、母の実家のお墓にも入っています。

 

母の誕生日に、母の最期と葬儀について書いてみました。

1年8ヶ月が経っているわけですが、文章にしてみると、記憶が曖昧なことが多いなと思います。

忘れないと思っていたことも忘れている気がします。

多分、普段と違う精神状態だったのでしょう。

母の死についてはもう少し書きたいことがあるので、また記事を書くと思います。

 

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