母の死について① 直腸ガン発覚と闘病生活

こんにちは、ますQです。

私の母親は、おととし(2015年)の12月、私が次女の妊娠中に亡くなりました。

直腸ガンで、65歳でした。

これまでも、いくつかの記事にもちょこちょこ出てきていますが、母親の死について書きたいと思います。

今回は闘病生活の話です。

 

最初の体調不良

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母の体調がおかしくなったのは2007年の夏でした。

腰が痛いと言って動けなくなり、調べてもらうと、どうやら甲状腺に問題があるらしいとのこと。

副甲状腺にも問題があるようで、様子を見て手術になるかもしれない、と言っていました。

 

この頃は実家で一緒に住んでいたのですが、病状についても経過についても、あまり話さなかった気がします。

母は看護師なので、私よりずっと身体のことについて詳しく、自分でわかっているからか、他人への説明がかなりさっぱりしています。

時に専門用語も入ったりするので、話を聞いても内容が理解できなかったりもします。

 

結局、甲状腺と副甲状腺については通院を続けていたものの手術はせず、どういう状況だったのかもわかりません。

その後のガン発病との関係があるのかもよくわかりません。

仕事はそれまでと変わりなく、夜勤もしていましたし、生活も問題ありませんでした。

でも、ガンになった後に、「あの時から身体がおかしくなっていったよね」と自分で言っていました。

 

 

直腸ガン発覚、すぐに手術

 

母親のガンが発覚したのは2012年の5月でした。

私が長女を妊娠していた時です。

法事で新潟に行った時に、「体調が悪い」と言って、つわりの私と2人でフラフラしていました。

その少し後に「たぶん入院になるよ」と言って受診し、ホントに入院しました。

ドタバタと手術の日程も決まりました。

 

手術の説明を家族で聞いたのですが、もともと血とか病院とか注射とかに弱いうえに妊娠中の私を気遣って、母は「あんたは聞かなくてもいいよ」と言ってくれました。

直腸ガンで、子宮にも癒着しているので、広い範囲を切除する手術が行われるそうです。

切除後、人工肛門をつけるようです。

医者の義務なのでしょうが、起こりうるリスクをたくさん説明されるので、かなり怖くなりました。

父と兄と義姉もいたのですが、当事者の母が一番冷静だったと思います。

 

私はまだ産休前で働いていたのですが、

上司からは「大腸ガンは治るから心配いらないよ。ウチの親父はもう10年以上ピンピンしてるよ」と言われ、

手術の日を休みたいと伝えたらチームリーダーからは「その日は他に休む人がいるから出社してほしい」と言われました。

 

手術当日は父と兄夫婦が病院に付き添い、私は仕事をしました。

お昼休みに兄に電話している様子を見て、先輩が「帰らせてもらえば?」と言ってくれましたが、結局その日は残業までしました。

帰る時にチームリーダーに、「これから病院に行くの?」と聞かれ、それなら早く帰らせてよ、と思ったのを覚えています。

手術は6時間くらいかかったみたいですが、成功しました。

病院に行くと、真っ白な顔でたくさんのチューブにつながれていましたが、意識はあるようで私の言葉にも反応していました。

 

退院、抗ガン剤治療、また入院、手術

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母は1ヶ月弱入院し、退院しました。

人工肛門の大変さはあるものの、そんなにツラそうではありませんでした。

仕事は入院前に辞めていました。

「定年まであとちょっとだったのに」と言っていましたね。

 

その後の通院で、肺と肝臓に転移していることがわかりました。

抗ガン剤治療が始まります。

抗ガン剤で髪が抜けるので、カツラも一緒に買いに行きました。

 

その年の11月に私は長女を出産し、年末まで実家に里帰りして過ごしました。

その間、母が抗ガン剤治療をしていた時期があったと思うのですが、あまり記憶にありません。

長女をとても可愛がってくれていて、育児に慣れない私を助けてくれていました。

 

抗ガン剤で、肺に転移した分は消えたみたいですが、肝臓に転移したのは消えていない、ということで、また入院して手術することになりました。

今度は最初の手術ほど大きいものではないようです。

この手術で、人工肛門をとって腸をつなげたので、また自分で排泄ができるようになりました。

これが2013年のことだったと思いますが、私も育児で手一杯で正確には覚えていません。

 

この後、消えたはずの肺にまた転移しました。

もう手術ができない状態のようで、また抗ガン剤治療をすることになります。

抗ガン剤治療をしている期間は身体もだるく、ツラいようですが、そうでない時は動いていました。

よく、長女の保育園のお迎えの時間に来ていましたね。

ウチと実家は歩いて10分くらいのキョリなので、私が仕事復帰するまではよく来ていました。

仕事復帰してからは、私が長女を連れて実家に行っていました。

早く歩いたり重いものを持ったりはできないけど、そんなに気を使うような暮らしではありませんでした。

 

その後もう一度入院して、クスリを直接身体に入れるポートの埋め込みのための手術をしました。

これは2日間の入院で済むので、「すぐだからお見舞いもいらないよ」と言っていました。

これで自分で家で抗ガン剤を入れることができるようになったのですが、私は怖いので詳しい話を聞かず、どうやるのかはわかりません。

母は看護師だけあって、すぐにやり方を覚えたそうで、「先生に褒められた」と言っていました。

 

ここまで母の発病から、闘病生活を書いていきました。

次回は抗ガン剤治療を終わりにしてからのことを書きたいと思います。

 

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