
こんにちは、ますQです。
今日はちょっと真面目なお話です。
4歳2か月の長女が感じた、死についてです。
長女の経験
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長女は4歳の現在までに、6人の肉親の死を経験しています。
曾祖父(父の父の父)、曾祖母3人(父の父の母、母の父の母、母の母の母)、祖父(父の父)、祖母(母の母)です。
私は生まれた時に既に曾祖父・曾祖母は亡く、初めての肉親の死は祖父でしたが、
その時は15歳、高校1年生でした。
それまで肉親の死を経験したことがなかったのですから、長女はかなり多くの肉親を亡くしています。
曾祖父、曾祖母2人とは、会う機会が少なかったし、長女もまだ0~2歳だったので何も感じていないようでしたし、
今も特に覚えていないと思います。
印象に残っているのは、3歳以降に経験した祖母、祖父、曾祖母1人(母の母の母)の死のようです。
祖母の死(3歳2か月)
母方の祖母(つまりは私の母親です)とは家も近くよく会っていました。
亡くなったのは3歳になってすぐのことでしたが、長女が覚えている最初の身近な死でしょう。
前からわかっている病気だったので何度もお見舞いに行きました。
3歳になったばかりですので、死についてすぐに理解していたわけではなさそうでした。
葬儀でもじっと座っていられずに動き回り、精進落とし(会食)中も歌って踊っていました。
お空に昇って行ったから、もう会えないんだよと言ってもわからないようでした。
棺の中の祖母を見た時は、「ばぁば何で動かないの? おめめあけないの?」
お通夜の夜は、「ばぁばにまた会いたいよね」
葬儀が終わった後も「ばぁばのいる病院に行きたい。今歩く練習してるんじゃない?」などとよく言っていました。
祖父の死(3歳10か月)
父方の祖父は遠方(水戸)に住んでいるので、そんなに頻繁に会っていたわけではありませんが、「水戸のじぃじ」と言ってなついていました。
祖父にとっては初孫で、次女が生まれるまでは唯一の孫だったので可愛がってもらっていました。
祖父は7月終わりごろにすい臓がんと診断され、その時にはもう末期でした。
お盆に会いに行き、9月下旬に入院した際に1度お見舞いに行き、その翌日に亡くなりました。
もともと健康体で元気で、半年前までは誰も想像もしなかった死でした。
祖父の葬儀の時もお経の間にじっとしていられなくなりましたが、それでもなんとなく理解していたようです。
「病院に行った時、水戸のじぃじとあくしゅしたよ」
「水戸のじぃじ、死んじゃったんだね」
と言って、お骨もきちんと見ていました。
曾祖母の死(4歳0か月)
曾祖母(母の母の母)は、新潟に住んでいます。
施設に入って2か月あまりで、容体がよくなくなりました。
病気ではなく、老衰でした。
母(つまり私です)と新潟に会いに行った時には、「喪服も準備してきて」と言われていました。
もう点滴もはずしていて、飲まず食わすの状態でした。
意識はあるのかないのか、時々うわ言のような言葉を言っていました。
足の先はもう壊死して変色していました。
そんな様子を4日間、お見舞いに行って見ていました。
曾祖母の身体が家に帰ってきた時、納棺された時も見ていました。
死の数日前から死後まで、しっかりと見たのはこれが初めてでした。
もう理解しているようでした。
長女が考えたこと
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祖父と祖母は病気でした。
「お医者さんに行ったのに、なおせなかったの?」
お医者さんにも治せない病気だったんだよ、と教えました。
病気にならないように、いっぱい食べて元気に過ごそうね、と。
「おおきいばぁば(曾祖母)はなんで死んじゃったの?」
老衰なので、こう言うしかないです。
「もうおばぁちゃんだったからね。しかたないんだよ」
少し前に井の頭公園の象のはな子が亡くなった時も、もうおばあちゃんでいっぱい生きたから、と言っていました。
すると、しばらく無言で考えてました。
そして・・・。
「じゃぁ、〇〇(長女)もいつか死ぬの?」
赤ちゃんから、お兄ちゃんお姉ちゃんになり、お父さんお母さんになり、おばあちゃんおじいちゃんになる。
そんな流れは知っていたのです。
で、おじいちゃんおばあちゃんの先が死だと気づいたのでしょう。
「死ぬのこわい」
当然です。そういう感情を持つでしょう。
「ママもいつか死ぬの?」
これも当然考え付くでしょう。
どう返答してよいのか困りましたが、「死なないよ」と嘘はつけません。
いつのことかはわからないけど、まだ先のことだよと。
その頃には長女も自分で色々できるようになっているよ、と。
しばらくの間は、寝る前などに「死ぬのこわい」と言って泣くことがありました。
「怖い夢見た」と言って目を覚ますことも多かったです。
普段の生活でいつも考えているわけではなくても、時々ふと思うようです。
全然平気で話すこともあります。
「ママは、お母さん死んじゃったんだよね。でもまだお父さんがいるじゃん」
「パパは、お父さん死んじゃったんだよね。でもまだお母さんがいるじゃん」
と軽い調子で言ってみたり。
「お葬式ごっこしよう。ママこっちに座って。前にお坊さんが来るよ」
と言ったり。
お葬式ごっこは、悲しくなっちゃうからやめようよ。と言ったらそれ以来やらなくなりました。
『さよなら。ママがおばけになっちゃった』という絵本があります。
死んでしまったママが夜にお化けになって出てくるお話です。
読んだ後、長女はしくしく泣きながら、何も言わずに私にしがみきました。
普段は泣く時に「え~ん」と声を出して泣くので、この泣き方はとても印象的でした。
その絵本はそれから読ませてもらえません。
いつか自分から「読んで」と持ってくるまでは待とうと思います。
大人だって、死への恐怖や、親しい人の死の悲しみを自分の中で消化するのは難しいです。
平気な顔で言葉にできたり、怖くなって泣いてしまうのも当然です。
幼くして親しい人の死を何度も経験したのはかわいそうですが、この経験をもとに
自分や人の命を大切に思える子になってほしいと思います。
内容が内容ですので、もしこの記事で不快に思う表現がありましたら、申し訳ございません。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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