『あたしおかあさんだから』の騒動について思うこと

こんにちは、ますQです。

あまりテレビも見ないしニュースも見ない、周りを気にしない私にしては珍しい記事です。

『わたしおかあさんだから』という歌の歌詞が賛否両論、問題になっているようですね。

私としては、「何がいけないんだろう」と思うのですが、批判している人の意見を見ると色々考えさせられます。

今回はこの騒動について、私なりに思ったことを書きたいと思います。

騒動から1週間以上経ってるのが私っぽいと言えば私っぽいですね(笑)。

 

歌詞と世間の反応

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この歌の歌詞をまとめて言うと、

「今まで自分のことばかりだったのが、子どもができてからは全て子ども優先。

オシャレもできないしライブも行けない、夜遊びもできない。

子どものためばかり。

だっておかあさんだから。

でもおかあさんになれて良かった」

ということだと思います。

これだけ見ると、そんなに特別なことを言っていない、悪くない内容だと思います。

 

でも、多くの批判意見があるようです。

「ガマンせずに自分のことを楽しんでいる私はお母さんじゃないのかな」

「ワンオペ育児の押し付け」

「お父さんはどうした」

「おかあさんだから、を連発されて呪いの歌みたい」

「自分を犠牲にすることが当然というプレッシャー」

「こんな母親になるのなら、子どもなんていらない」

などなど。

批判意見を見てみると、そういう考えの人もいるんだなと思います。

 

 

歌詞に対する私の感想

私は、騒動になるまでこの歌を知りませんでした。

歌詞を見たのも数日前、騒動が起きてからです。

だいすけお兄さんの歌を聞きたかったのですが、動画は規定がかかっているのか、映像を見ることができませんでした。

一般の人が耳コピして歌ったという動画だけ見ることができました。

ホンモノの歌とどう違うのかわからないですが、聞いた印象は悪くなかったです。

 

歌詞を見ての感想ですが、特に反感は持ちませんでしたね。

むしろ、「そうだよねー」と共感の方が多かったかな。

私だってこんな生活だよって言いたくなります。

 

ひとり暮らしはしたことないけど。

眠いけど毎朝4時半に起きてるよ。

料理はできないから頑張らないけど、献立は子どもが好きなものばかり。

女の子だから新幹線の名前は覚えないけど、プリキュアは毎週見てるしキャラクターも覚えたよ。

ひとりで出かけたことだって数えられるくらい。

自分の時間なんて全然ない。

うまくいかない時期は毎日泣いてた。

 

もしおかあさんになる前に戻れるなら、海外旅行に行くかな。

自分のための服を買って、ファミレスじゃないオシャレなお店でご飯を食べたい。

夜の飲み会にも行きたいな。

 

でも、それは「今」じゃない。

今は子どもばかりでいい。

だっておかあさんだから。

子どもに会えて幸せだから。

 

歌詞に似せて自分の状況を書いてみました。

子どものために犠牲にしている部分はたくさんあるけれと、それで幸せな気分で書きましたが、人はどう感じるのだろう。

私は今は精神的に余裕があるから、「わたしおかあさんだから」の歌詞を見ても笑っていられるのかもしれない。

育児がうまくいっていない時期に見たら、全然違うものに感じるかもしれない。

この歌詞がすごくツラく思える時があるかもしれない、そうも思います。

 

批判意見に対する私の感想

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「呪いの歌」「母親の自己犠牲への賛美」「特定の母親像の押し付け」と言われてから見てみると、

そう受け取れなくもないかな、とも思います。

「子どもに聞かせられない」と言われると、それは別にないなと思います。

「ガマンしてエライって、上から目線で言われるようでモヤモヤ」と言われると、それは確かにあるかも、と思います。

 

でも、歌だし、育児書に「いい母親になるにはこうしましょう」って書かれているわけではありません。

「そういう人もいるよね」で済ませられないのかな、とも思うんです。

この部分は共感できるけど、この部分は自分とは違う。

それじゃダメなのかなって。

批判を受けて作詞者が謝罪をしなければいけなくなり、発売は中止になりそう(中止になった?)状況なのが不思議です。

 

発表する場がふさわしくなかったのかなとも思います。

例えば、歌うのも作詞もシングルマザーが事情があってひとりで子育てをしている女性で、

「これは私の実体験です」って発表したらこんな風にはならなかったのかなとか。

例えば、この歌と同時に「おかあさんだけど自分のことを優先している人の歌」や

「おかあさんは仕事に夢中だから自分が頑張って育児をしているお父さんの歌」なども合わせて発表していたら、

色んなカタチの育児ということで受け入れられていたのかなとか。

考えてしまいました。

歌詞とそれに対する反応が連鎖を生んでしまって、騒ぎが大きくなった印象です。

 

「母親が自分を犠牲にして育児をするのが当然」という前提があって、

それはある程度は確かに事実で現実だけど、

あえて歌詞にされてしまったことで実際の母親達は反発した。

子どものためにしていることが「ガマン」なのか「幸せ」なのかは人にもよるし、

同じ人でも状況や時期にもよると思います。

ツラい時にこの歌詞を読んでしまうと、気持ちがささくれてしまうのかもしれません。

 

作詞をしたのぶみさんは絵本作家です。

のぶみさんの絵本はウチにもあります。

作家って、言葉の表現のプロですよね。

「ママお疲れ様の応援歌として作った」という気持ちは本当だと思います。

今回はこんな騒ぎになってしまったけれど、それは表現のやり方が世間に受け入れられなかっただけ。

これだけの反応があるということは、それだけ人の心に引っかかるモノだということです。

できれば、もう一度(一度だけじゃなくて何度でも)書いてみてほしいと思います。

 

うまくまとまらない文章ですが、今回の騒動で思ったことを書いてみました。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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